さいきんどウツボ? 2003年8月後半


8/14 よる


8/22 ちょっと唐突だけど、だいじなおしらせ。

さっき風呂の中で思いついたんですが、とりあえず1年間、このサイトを休もうと思います。
じっさいは、2、3年ほど休むことになると思うんですけど。

最近ちょっと勝負時かなと思っていて。
まあ、勝負といったって、それほど気張ってるわけじゃないですけど(他人と勝負するの嫌いだし)、ちょっとは、自分と
勝負しないとな、っていう気分というか。ぜんぜん要領よくないんで、こういう気持ちをキープしたいんです・・・。
日記書いてると、けっこう、そういう問題意識をうまくごまかせるんですね。ごまかしつづけちゃうと、これは、まずい。
少なくとも自分のそういう意識をごまかしつづけるのは、今のぼくにはよくないな、と判断しました。

けじめ、っていうんじゃないけど、「節度」みたいなものが自分に必要だな、と最近思ってます。
ぼくは、まだ世間に出たことないんで、生意気ぬかすのは、それからでもいいかなというのが、本音なんだけど。
もし、無事、就職できたら、戻ってくると思います。就職できるということもそうですが、就職するに到るプロセスが
ぼくにとってはすごく、財産になりそうな気がしています(つうかさー、それ、気づくの遅すぎー。あほすぎー)。
就職=当座の目標、という感じも悪くないかな、みたいな(いやー、中途半端に浮世離れしていると損しますねー。けけけ)。

定職に就けたら、その環境が自分のおぼつかない足取りを正してくれるんだ、とか、そんなのんきなことは露とも思ってませんが、
あまりにも後先考えずに生きてきたので、ちょっとここらへんで目標つくってがんばってみるのもよさそうだし、
じゃあ少しはそんなふうに感じた自分をごまかしにくくするために、日記を休んでみようかな、と結論が出たわけです。
なんかこの回りくどさが嫌だなー。「一身上の都合で1年間休止します」って書いてもよかったんですけど、
それじゃ無味乾燥だしね。いちおう4年強サイトやってきた自分のピリオドなんで、書いてみました。

ちなみにネットから完全に消えるということはないので、その旨付け加えておきます。
拙文を愛読してくださったみなさん、どうもありがとう。また、会いましょう!

2002年8月22日
ウツボカズラ


8/22 夕方

あさから、水道屋とサッシ屋が相次いで登場したので、外出計画が一気にぽしゃる。

耳子さん、午前11時頃起床。ちなみに、耳子というのは、ぼくの妹です。

「おにいちゃんさー、昨日夜、ものすごい勢いで寝言言ってたよ」
「やだなあ。恥ずかしいな。なんて言ってた?」
「覚えてないの?すごい早口で・・・よく分からなかったんだけど、声かけてみても
ずっと喋り続けてたから、『あ、寝てるんだ』ってわかったの。誰かと話してるみたいだったよ」
「ちょっと最近ハイ・・・でね・・・。なんかいろいろ楽しいんだよね・・・だから、たぶん寝てても脳がすごい状態なんだよ・・・」
「そう、いいなあ。わたしつまんない・・・テレビつまんないしさーおもしろい番組やってないのー?」
「テレビなんてつまんないよ。本を読もうよ。おもしろいよー本」

てな感じで、現在、三冊併読中なのです。あーこのエナジー外になにかにいかせないかなあ・・・。
昔、椎名誠が「日本読書公社」構想というのを、エッセイかなんかでぶちまけていて、あれをちょっと思い出しました。
本を読んでいて、書評すれば、給料のもらえる会社・・・みたいなね。その気分がちょっと分からないでもない。
まあ、彼のつくった『本の雑誌』という書評雑誌は、それを半分くらい実現しちゃってるわけですけど。考えてみると、すごいよね。
『本の雑誌』は書評雑誌のパイオニアですねえ。メイジャーカンパニーが『ダ・ヴィンチ』ってのも出してるけど。
あれはリクルートでしたっけ?違ったかな。(訂正:違った。メディアファクトリーが正しい)


8/22 あさ

きょうも暑くなりそうですね。掲示板はあいかわらず死んでまっす。

サタデーイブニングポストのリーダー、コウリョウくんの音源が、ここで聴けます。
お時間あったら、ぜひどうぞ。今後彼らは、もっと「ロック」になっていくそうですが、
やっぱイベントやって、そこに呼ぼうかなあ。ライブは、やはり2こくらいあったほうがいいよなあ。となると・・・。

などと早朝から妄想にふけっていると、なんとも言えずしあわせです。


8/21 おしらせ

現在午後10時33分。ライブドアのサーバに不具合生じているらしく、掲示板が死んでます。
そのうち復旧するかと思いますが。そういや、この間は、ジオが不具合あったなあ・・・。
そろそろ、はてなに戻ったりしちゃおうかな、と思わないでもないですけど、卒論終わってないし、
前言撤回というのもいやなので、たぶん、このまま、ここによしなしごとを書きつける予定です。
では、グーテナハト。


8/21 よる

がちがちに肩がこわばっている小西さんとタモリがソバ話をしているブラウン管を眺めながら、できあいの
餃子と白米を食らう。麦を入れて米を炊きたかったが、あいにく切れていたので、まっさらな飯である。
やはり、麦が入っていたほうがうまい。白米だけだと、なんだかすかすかして食べ応えがないのだ。
餃子のタレは、黒酢と醤油のミックスだ。色が似ているので、分量を間違えるとたいへんなことになる。

昼食後、履歴書を書く。丁寧に書こうと思うと、緊張のあまり手が震え、一枚下書きのつもりで雑に書いて、
二枚目に書き写す。顔写真がうまく貼れず、一枚ダメにしてしまう。だいたい、昔からぼくは、はさみで
紙を切るときも、線をひいておかなければ、まともに切ることができない。そして線を引くのを面倒がるので
いろいろ損をする。それは、それとして、「もういいや!」と叫びながら見にくい履歴書を手に、近所のレンタル
ビデオ屋まで走る。先日言っていたバイトの面接というのはこれである。店員にバイトで来た旨汗まみれで
告げると、2分位して、物静かな男性が現れた。おお、このひとが店長か。店長の後に従い「18歳以下立ち入り禁止」と
書かれた垂れ幕をくぐって階段を上ると、踊り場のあたりから、肌もあらわに笑みをうかべるビデオの
パッケージがぼくを歓迎する。2階はワンフロア完全にアダルトコーナーだ。ピンクでまぶしい。田舎のビデオ屋は、
こういうパターンが多い。エッチなものは、どこでも誰でも好きだ、ということである。しかし、最近はどうなのか。
ネットでもエッチな画像や動画はあふれている。タダのものもある。それでもやはりエロビデオは儲かるのだろうか、など
ということもちょっと思ったが、初対面の店長にいきなり訊ねる訳にもいかず、小さな部屋に入り、椅子にかける。
「よろしくお願いいたします」。

店長は、押し付けがましくなく、物静かで、でもどこか芯がある感じで、ちょっとだけ、去年の夏大阪で石井さんに
お会いしたときのことを思い出した。なんとなく似た雰囲気を感じたのだ。面接の最後に、仕事をしていてどんなとき
いちばんうれしいか、と訊いてみたら「自分でいろいろ思案して、コーナーをつくって、それがうまく回ったり、お客様に
『このビデオ探していたんですよ』と声をかけてもらえるとうれしい」と仰っていた。シンプルでいいな。苦労も多いのだろうが。

さて、採用されるだろうか。まあ、またダメだったら、むろん次行ってみるけど。店長!ご英断を。


8/21 ひる

聖望学園、島根江の川高校に2-1で敗退。まあ、7回から観たんですが。
野球ってピッチャーとキャッチャーの関係がとても重要なんですね。はじめて知った。
あれは、人間のコミュニケーションを端的に象徴しているようで、すごくおもしろい。
そこへ、バッターという第3者が介入してきて、三角関係になるところとか。かけひき、かけひき。

いやー、8回、9回の緊張感がたまらなかったです。胃が縮む感じ。ドキドキした。
スポーツって、ああいうところで「やーめた」って言えないんだよなあ。当たり前だけど・・・。


8/21 あさ

最近、脳がよく働いて、毎日よくお腹がすくのはよいのだけれど、ご飯を食べ過ぎていたら、顔がぷくぷく
よこに太ってきて、ただでさえ長い馬面がますます厚顔無恥度を上げ、ショックを受けています。

実は、自分がいちばんましだったときの顔は、高校3年時の顔で、あの頃がいちばん鋭角的なフォルムをしてしました。
ああ、もうあの頃には戻れないわ。わたしも年ね。などと、ついおねえことばになってしまいます。ぷくぷく。
「おい、ツラを磨くのもけっこうだが、テメエの中身をもっともっと磨きやがれ」と見えざる神に言われているようなので、
前向きに善処したいと思います。だいたい、さいしょっから、磨いたってたいしたツラじゃあねえんだYO!こちとら知ってんだYO!

顔に加えて、コミュニケーション能力を磨いたほうがいいね。ひきつらない、好感の持てる微笑み方とか。意外に訓練したらおもしろそうですな。


8/20 よる

散歩を10キロ。長い時間歩くと、すかっとしてなかなかよいものです。歩きながらいろいろ考えられるのもいい。

爆笑問題とウルトラ7』(新潮文庫)読了。死の数ヶ月前の、淀川長治(1998年逝去)の対談に泣く。

ヴィデオで『サタデー・ナイト・フィーバー』観る。素朴でまっとうな青春映画でした。文部省が選定しそうな。
これが果たしてディスコ映画なのかどうかはちょっと疑問だけど(健全すぎる)、いい映画なので、ぼくは好きです。


8/20 あさ

最近のあばさんの日記がいい。
読んでいると、笑えるし、なんだか勇気づけられるのである。最近、思うのは、ひとさまに笑ってもらえる文章を
書くのは、難しいなーということ。稚拙でも「笑い」を起こす文章というのは、すごいなあ、と思っている。
ぼくは、じぶんのダメさ加減というのを、恥ずかしくて、なかなか笑いに転化することができない。まあ、いいんだけど。

冷笑的なテキストは書きやすいし、書いてればそれなりに気持ちよいのだが、いざ読むとなると、最近タイクツだ。
以前は、ネット独特のすえた感じのテキストが心地よかったが、だんだん飽きてきたのだろう、底の浅い(苦笑)には。
批評的な文章を気負わず読ませるというのも難しいことだし、押し付けがましくない芯のある感じに惹かれている。
ぼくのまわりには、幸運にも、そういったやわらかな芯の持ち主が多くて、楽しい文章が読めてうれしいのだけれど。

そういえば、『ガクモンの壁』のなかで養老先生が、「なぜ東大生がオウムを信じるようになったかわからない」と
仰っていて、たぶん、養老さんは、敗戦で、人間の称揚する主義主張、ものの価値というものがいかにいい加減か、ということを
体感的に知っているからなのだろうと思った。おそらく、教科書に墨を塗るという行為が、とても大きかったんじゃないかと思う。

オウムにかんしては、ぼくは地下鉄サリンの日、中学3年の終業式で、家に帰ってきてテレビを点けたら、ヘリからのテレビカメラが
眼下に消防自動車ばかり映しだしていて、驚いたことをよく覚えている。次の日から、確か、春休みだった。実は、ぼくは当時、
彼らのやったことの意味はよく分からなかったけれど、世間(他者)に対する理不尽な怒り、のようなものには共感を覚えたことをよく
覚えている。ぼくの中学時代というのは、端的に‘闇’だったのだ。とにかく、‘いじめ’の多い学校で、今思い出すだけでも
気分は暗くなる。それはさておき、オウムについて考えるなら、村上春樹『アンダーグラウンド』と竹熊健太郎『私とハルマゲドン』は
あいかわらず必読だろう。村上は真摯な「物語」作家として、そして、竹熊は真摯な「おたく」文筆家として、深い洞察を
感じさせる文章を書いている。オウムを「あれはバカの仕業だった」とマッチョに片付けるのはたやすいけれど、その「バカ」は
ぼくの中にも含まれていると思うし、オウムより、より巧妙でより戦略的でより原理主義的に見えるのが、昨今のアメリカじゃないか
なんて思うくらいである。オウムの示唆するものはあいかわらず大きいはずだ。したで「原理主義について」書こうかな、なんて
いっているのは、そんな気持ちがあるからなのだ。書いてどうなるというものでもないけれど、書きたいので書くのだろう。

8/19 追加

先日16日にダウナー気分をアゲアゲするために書いた仮住まいにおける雑文第1号「恋について」をアップしておきます。
つぎはできれば、「原理主義について」を書こうかな、と思ってます。まあ、気分しだいで。書ければ。

8/19 よる

絶え間ない驚きにもだえながら『養老孟司 ガクモンの壁』読了。やっと読み終えたけど、なんども読み返す価値がありそうだ、この本。
脱字が数えた限りでは5箇所、誤植も1箇所あったし、タイトルは新潮新書のベストセラー『バカの壁』に便乗しようと
改題されているが、そんなのはささいなことだ。カバー絵が、本秀康でかわいいから、許す。本秀康は嫌いじゃない。
あと、巻末の日経サイエンス編集部名義の文章がいい。養老先生は、やはり類は友を呼ぶで賢い編集者に恵まれているのだろう。
少なくとも、かなり敬愛されていることと思う。だって『バカの壁』(公称110万部)ってかなりイイ本だったもの。編集者らにこっそり拍手したい。

ところで『ガクモンの壁』だけど、示唆に富んだトピックが多く、ページを行きつ戻りつして読んでいたので、ずいぶん時間がかかった。
読んでいると、次第に「読むよろこび」に支配されてしまい、リーディング・ハイとでもいえばいいのだろうか、
頭と心とがブレイクスルーするような恍惚感に満たされた。おそらく今までの文学頭に、自然科学(科学哲学?)をぶちこんだことで、何か
化学変化のようなことが起きているんだろう。新しい「刺激」を知って、楽しい。かんたんにいえば、そういう感覚なのだけど、
もう少しかっこつければ、ものの見方を少しずつ増やしていく感じがあるというか。これはでも今までの自分(そんなものがあれば)を
ちょこっとずつ失っていくような気分ももたらしてくれる。しかし、考えてみれば、ひとには寿命があるので、何かを手に入れる
ということは、何かを手放すということでもあるのだから、なんとなく「失うことを恐れるな」というような感慨も得た。
なにはともあれ、おそらくある特定の価値体系をさまざまな立場から見ることは、ぼくをより豊かにするだろう、という確信のようなものがある。
なぜなら思考の多様性、論理のパターンを増やすことが、自分自身の柔軟性につながることを、経験的に知っているからだ。
一見くだらないようなことでも、知るのは楽しい。それはひとやメディアを通じて知るトリビア然りだ。雑学をあなどることなかれ。

さて、ハイといっても自信満々な気分ではない。かつてのリーディング・ハイな感覚とは違う、スライのファンク音楽が持っているようなクールな
気分に誘われて、ロニー・バロンの「ルイジアナ・フラッド」(この曲はホット!)を聴いたら、やりたいイベントの構想がどかんとうまれてしまった。
これを実現するためには、とうぜんお金がいるので、とりあえずバイトの面接に行くことにした。まあ、ごくあたりまえの判断なのだけど、
自分の中での、思考と体験とのフィードバックが相互に活発になっているようで、うれしい。脳がよくはたらいてくれているみたいだ。
このいい感じをぜひともキープしたい。ということで、やはり体力だな。明日は運動しよう。しかし面接うまくいくかな・・・。

卒論書くのを中断したことが、かなりプラスになったみたいだ。よかった・・・。バカはバカなりにちいさくちいさく進歩するのだろうか。
進歩っていったいどんなことかよくわからないけれど、せめて少しづつ賢くなりたい。

8/19 ひる

聖望学園高校野球部、甲子園ベスト8出場おめでとう。名門の天理高校を7-3で下すなんて、胸がすっとしました。
勝負は名門とか、そういうもんで決まるじゃないんだろうけど、昔、聖望に通っていた者としては、やはりうれしいです。愛校心はないけどさ。
きょう飯能は大騒ぎだろうなー。もう、町をあげて祭りだろうね。町のお偉いさんたちが「これは名誉です!」とか絶叫してそう。

スポーツの中で、とくに球技が嫌いだったし、いまでも好きじゃない。だから野球も好きじゃないけど、松村投手の落ち着いたピッチングには
ちょっと心をゆさぶられました。ボール3、ストライク2に追い込んでから、打ちとったり、変化球で三振させたり。
精神と肉体の高度な修練を感じて、すごくドキドキしてしまった!ああいうコンセントレーションってすごいね。憧れるぜー。
守備陣もすごく笑顔が多くてよかったな。あれは、ほんと打たれるものがあった(カメラが笑顔を狙って撮るのもあるけどさ)。
ああいう場所で、楽しそうにプレイするのって、すごいことだと思う。楽しそうに、というか、楽しんでたんだな。それが伝わってきた。

負けた天理の選手もよかった。何かに一途な姿勢っていいもんだな、と思った。ふしぎなすがすがしさがあるから。
それは、若者じゃなくてもいいんだけど、でもやっぱり若さの持ってる独特な魅力はあるよね。
なんか、生物として美しいんだよな・・・。こう、そそられる感じ、つまり、セクシーなんだよ。

うーん、とにかくぼかぁ、しびれたぞー。なんかちょっとエナジーをもらった気分。サンキュー!

8/18 よる

きょうからとりあえず1ヶ月間、卒論を休むことにした。ほかのことをしようと思う。
おそらく締め切り近くに自らを追い込んで、尻に火をつけるのが書くためのいちばん合理的な方法だ。

8/18 すぺしゃる・のーと:Saturday Evening Post

オープニングナンバー「Be Here In The Morning」を演奏中のサタデーイブニングポスト

日時 : 2003年8月16日
場所 : 「ぼくたちの休暇」@茅ヶ崎ブランディン
写真 : 山下スキル
文 : ウツボカズラ

愛すべきサタデーのライブについて、語ることははっきりいって難しい。なぜなら、リーダーのコウリョウくん(写真向かって右端)
ぼくはこの3年くらい、友人だからだ。そういう場合、やっぱり私情を排するって難しい。彼らの音楽にはせめて正直でありたいと思う。
だけど、友人バンドの奏でる音楽って、なんだかひいきしてしまいそうだ。まあ、いいか、ひいきしても・・・。

ぼくは最前列で、そのパフォーマンスを見ていたのだけれど、彼らの緊張感がビンビン伝わってきて、思わずがんばれと
いいたくなってしまった。あとぼくは、やはりサタデーを気に入っている、山下スキルさんの表情が気になった。そういうごく
個人的な気分のなかで、彼らはすごく楽しいことをやってくれた。思わず笑みがこぼれるような、そんな楽しいこと。

「沈める寺」というコウリョウくんのオリジナル曲。これ、タイトルはドビュッシーの前奏曲からの引用。楽曲自体は
反復中心でアンビエントぽい。そこにマイクを通して、会場にいる観客の声や手拍子や、楽器の音(トイっぽいやつで、かわいい音が出る。
パーカッションとか、ウクレレとか)を拾って、音を足していく。そういう趣向の楽曲だ。これが思いのほか、楽しいのだ。客席が
ぐっとなごんだ空気感に、ぼくは笑った。サタデーのメンバーもみな、あふれる音の中でうれしそうに笑っていた。
あのとき、確かに「音楽が広がった」とぼくは思う。ああ、こういう感覚はとても豊かだ。

サタデーリーダーのコウリョウくんは、お寺に育った。お寺はいろんなひとを招き入れる、昔からの集会所みたいな場所だ。いまふうに言えば、
フォーラムって言ったっていいと思う。彼は、そんな環境に育って音楽を好きになって、それで、たぶん彼は音楽にもいろんなひとを
招こうと思ったんじゃないか。ぼくはそんなふうに感じなくもない。音楽を奏でよう、という目的があれば、みんなわりと自由に
振舞えるからだ。その場のみんなで音楽しようという姿勢が、ちょっとこわばった、おすましした心を解き放ってくれる。彼は、たぶん
それを知っている。音楽のひみつを、知ってるんだ。だから、観客を観客であることからほんのちょっと解放できる、そんな術も彼は知ってるわけだ。

「類は友を呼ぶ」とはよくいったもので、サタデーのメンバーは、そんなコウリョウくんと、少し似ていたり、違ったり、でもどこかで
つながっている友人たちの集まり。だから彼らの音楽はとてもフレンドリーだ。この親しみやすさをどこまでキープできるだろう、と
ぼくは少し考えてしまうけど。ノブくん(写真中央)作曲の「野原」。あのイノセントで、こどもから、おじいちゃんおばあちゃんまでとりこにしそうな、
ああいう曲をまた聴くことができるんだろうか、なんて。彼らにはもっと演奏がうまくなってほしいような、ずっとそのままでいてほしいような、
なんともいえない気持ちだ。ただ、ひとつぶしつけな意見を言えば、彼らはメトロノームを捨てたほうが、もっといい音楽を作れるような
気がする。まあ、最前列で聴いていたので、音の全体をうまく捉え切れていたか、いささか自信がないんだけど。

サタデー・イブニング・ポスト、ハッピーな音楽と映像をありがとう。ぼくはとてもうれしかったよ。
そしてきみたちの音楽が、ぼく以外のひとにもっと気に入られるようになってくれると、ぼくは、もっとうれしくなるよ。

じゃあ、またね。

8/18 あさ

けさの読了本:山形浩生『新教養主義宣言』(晶文社)。山形の文を読んでいると、知的スノビズムというのも悪くないもんだな、と
思う。だいいち、このひとは、MITを出てるエリートのくせに、生き方が不器用そうで、ロマンティストで、なんかとてもいいのだ。文章を読んでる
ぶんには。じっさい友達に持ったら、自信過剰な嫌味なやつだと思うし、まあ、文章と作家の生き方ってのはまた別物だとも思うんだけどね。

山形のいう「教養」ってのは、「社会の基盤となる」「実用性」のある「価値・倫理体系」で、バカは放っておいていいらしい。
ある種のエリート主義を称揚してるわけだけど、端的にいえば「バカは困るじゃん。ちったあ賢くなって、いろいろテメエで価値判断
しようじゃないの。楽しいぜよ」ということをこの本を通じてマニフェストしてる。ぼくはあんま賢くないけど、賛成したい気分だ。
なんか乱暴なフーコーみたいだ。ぼくはフーコーのいってることなんて「言説」と「権力」の定義しかわかんないけど、『知への意思』を
読んだとき(20ページくらい読んで挫折した)バカは読むな、っていわれているみたいで、すごく頭に来た、あれとちょっと似た気分になる。
ていうか、山形のほうが、文が激しく砕けているから、かなりダイレクトにきちゃうきちゃう。いい感じだ。

まあ、たいして能力のない人間には、ひとの気持ちを汲み取れる、ってのも十分「教養」として機能すると思うんだけどね。
身の程知るのは大事だし。みんながみんな、山形になれるわけじゃないしさ・・・。まあ、でも比較的自覚のある凡夫を鼓舞するいい本だと思います。
ふるってるから、序文だけでも読んでほしい。読み物としておもしろいってとこが、いちばん良いんだよな。教養どうこう言う以前にね。

8/17 よる

昼食のあと、何もする気が起こらず、しかたないので、図書館まで歩くことにする。往復で10キロはあるんだけど、ここを歩くたびに、
黙々と走っているおじさんたちに出会っては、胸をときめかせている。おれも走ろうかなーと思う。黙々と走るのかっこいい。
予約していた本を借りて、遠回りしながら帰宅。15キロくらい歩いたかな。心地よい疲労で、夕飯がうまくて、ご飯を食べ過ぎて気持ち悪くなった(アホか)。

予約していた本は以前吉田さんにおすすめ頂いたソーカル/ブリクモン『「知」の欺瞞』(岩波書店)。
難解そうに思えたが、かなり明晰な雰囲気の訳文でほっとする。興味ある内容なので、ぜひ読破したい。
ていうかお前そういやバイトはどうなった。貯金もうないぞー(おととい最後の3000円下ろしたら、残高13円になった)。働けー!

8/17 ひる

昨日は実は気だるくて、おまけに曲もかけられなかったし、帰り道、まろんさんと山下さんに散々愚痴ってしまったのですが
すみませんでした。今じぶんの中の「気だるさ」をできるだけ排除しようとしている状況なので、たぶんそれがそうとうに
うっとおしかったのです。ほら、ユングが言ったシャドウみたいな感じで。経験的に、音楽のよしあしってその日の気分や体調で
左右されてしまう部分が大きいとわかってきて、だから、最近は音楽についてあんまり書かないのです。文章にすると、それはそこで
固まってしまうから。ディスクの感想文をいちいち音楽を聴いているプロセスとして判断してくれ、と求めたりもしないですが、
このごろ音楽について書くことに、なんとなく不毛を感じるのです。まあ、どうでもいい話なんだけど。

8/16 深夜

ぼくたちの休暇無事終了。 終電のいっこ前で帰宅しました。山下さんの選曲がすばらしかったです。

クローズの時間が早まったため、セットリストは以下の通りでした。

1. THE BEATLES / HELLO, GOOD BYE
2. 奥田民生 / ハネムーン
3. PINK FLOYD / IF
4. CAN / ONE MORE NIGHT
5. ROLAND KIRK / WHAT'S GOIN' ON
T.T. 23'17"

入念に選曲準備をしたので、思う存分かけられず残念でした。

8/16 あさ

卒論はあいかわらず停滞(というか手をつけていない章がある)してますが、朝方生活に変わりありません。
朝早く起きると、朝ごはんがおいしいのがうれしいです。ほかにいいこと・・・そういや最近ゲ(以下略)。

先日のNHK「ライブビート」の収録のくわしい模様が、日高さんの日記にあります。大友バンドの放送日は、じつはぼくの誕生日だったりして。
23さいになるんですが。まだ精神はかなーりガキなんですけど。こんなんでいいのかなあ・・・。

では、some of viewersのみなさま、 薄ら寒いであろう茅ヶ崎でお会いしましょう。give me your groooove!てな感じで。いや、ほんとに。
グルーヴ足りないと、風邪引いちゃいそうで怖いです。

8/15 おしらせ

8月前半の日記は、以前の日記のページからどうぞ。
明日は、茅ヶ崎ブランディンで、ぼくたちの休暇です。楽しんできます。

きょうの読了本:山形浩生『コンピュータのきもち』(アスキー)。よい本です。ここで読めちゃう。